女川の朝日を見つめ続けて

2011年の東日本大震災以降、各地でふるさとの再建に携わってきた人々がいます。今回は宮城県女川町の阿部喜英さんに、同町での民間の取り組みを伺いました。

*『震災リゲインプレス』第38号(2021年1月)から転載

震災後、先行世代から受け取ったまちづくりのバトン

宮城県牡鹿郡の女川町。梅丸新聞店代表の阿部喜英さんは毎朝の配達の後、駅から海へ伸びるレンガみちの風景をよく写真に収めます。朝日が町を照らし始める、夜明けの時間帯です。レンガみち沿いの商業施設・シーパルピア女川は2015年、物産施設・ハマテラスは2016年開業。阿部さんはその実現を含め、震災後の女川のまちづくりを民間側から牽引した一人です。

阿部喜英さん(女川みらい創造株式会社代表、 梅丸新聞店代表)

「震災のひと月後、町の産業従事者が垣根を超え復興を目指す『女川町復興連絡協議会(FRK)』が発足しました。当時の商工会長の発案でしたが、最初の会合で、この復興は20年先を見据える必要があるから若い世代に任せよう、還暦を過ぎた世代は口を出さずに見守ろう、と仰いました。当時40代前半だった私も『まちづくり創造委員会』の委員長を拝命しました」

戸惑いもあったそうですが、阿部さんは以前から商工会青年部で町を元気にする活動もしていました。

「それまでは町をPRするCMや、ご当地ヒーロー『リアスの戦士イーガー』の企画など、観光客を増やすことを主に考えていました。ただ、FRK以降の活動では、自分の中で考え方も変わっていったと思います」

被災後に休業していた商業主らと協力した青空市場「おながわ復興市」の開催や、コンテナを活用した民設民営の仮設商店街開設など、阿部さんたちは町の暮らしと経済を再生する取り組みを続けました。役場と連携しつつ、民間の動きが大きな役割を果たしたのは特徴的です。

「続いて開業した『きぼうのかね商店街』は50店舗の大型仮設商店街で、民間団体からいただいた大きな寄付と、公的支援の両方で実現しました。公的支援では入居対象店舗が被災事業者に限定されますが、ここでは新たに起業した方々も対象にできため、創業支援的な役割もある程度果たせたのではと思います」

支えられ、学びつつ、自立した町への道を目指す

お話から感じるのは、観光力向上や被災地復旧に留まらない、地方創生(少子高齢化等の課題に向き合いつつ、住みよく活力ある環境を築く)の眼差しです。

「私にとって、まちづくりの専門家・木下斉さんとの縁は大きかったです。知り合ったのは震災前で、補助金等に依存せず自立したまちづくりを重視する考え方に大きく影響を受けました。震災後も、国の支援をただ待つより、自力で動き出すよう助言をくれました。率直かつ厳しい人で、彼に怒られたくない一心で動いたこともありますが(苦笑)、とても感謝しています。岩手県紫波郡の『オガールプロジェクト』にも多くを教えてもらいました。長く未活用だった駅前町有地を官民連携で活性化した取り組みです。ハコモノありきでなく、全テナントの誘致後に建物を設計し、テナント収入で維持管理費を賄う手法は参考になりました。公・民が得意領域で連携する形も女川町役場と一緒に学び、シーパルピア女川ほかの事業に活かせました」

現在、町も出資する女川みらい創造株式会社の代表として駅前商業エリアの運営等に携わる阿部さん。課題もまだ多いとしつつ、ただ消費する場ではなく、人が自然と集い、観光客も繰り返し訪ねてくれる魅力ある場を目指したいと語ってくれました。町には若い世代の動きもあり、「お試し移住」プログラムなども生まれているそうです。今朝もレンガみちに立つ阿部さんの前に、女川の新しい朝日が昇ります。