人と復興|震災前から取り組む地元の「場づくり」に専念:いわき・小名浜のプランナー、小松理虔さん

「福島からの情報発信」と聞いて何を思い浮かべるだろう。原発、放射能の現状、避難者の怒りや悲しみ……。もちろん、それらは実際に「ある」。しかし今、内からも外からも、右からも左からも、どんな立場であれ語りにくくなっている現実もある。そして結局、何も「ない」ことになってしまうのでは——。

「そんな状況を超えるものとして、地元で日常の食や音楽について語り、活き活きと暮らす人たちのことを伝えたい」と語るのは、いわき市小名浜のフリープランナー、小松理虔さんだ。

小名浜生まれで、福島テレビの報道記者を務めた後、上海で日本語教師や日本語情報誌の編集者を経験。2009年に帰郷し地元企業に広報担当として勤めつつ、個人で「小名浜の手と手をつなぐウェブマガジン」として地元情報発信誌『TETOTEONAHAMA』を創刊した。

「活気のある上海から戻って一番感じたのは、小名浜の人が地元を誇らしく思えていなかったこと。発信側がしらけてはダメだ、地元の人同士がつながり、盛り上がらなければと気づいたのが動機です」

地域の魅力的な催しや人物への取材に奔走し、盛り上がりを目指し始めた最中に、あの震災が起きた。津波で港は変わり果て、放射能汚染は県北西部ほど被害がなかったものの、人々の生活はバラバラにされてしまった。

しかし小松さんの意志は変わらない。同年5月に小松さんはドローイング作家の丹洋祐さんと、自分たちの小名浜をつくり、発信するスペース「UDOK.」を開設する。丹さんは建築やデザインを学び県外で働いた後、やはり震災前にUターンしていた。もともと『TETOTEONAHAMA』の読者でもあり、ネットを超えて集える場も作りたいという小松さんに共感。雑居ビルの一画から挑戦が始まった。

「日中の本業が『晴耕』なら、その帰りに趣味などの『雨読』を追求できる場」としても開放すると、「近くにこんなに面白い人たちがいたのか」と驚くほど多様な仲間が集い始めた。職種を超えた「小名浜復興計画」の会議、演奏会、市民参加の「小名浜本町通り芸術祭」など多彩な動きが生まれる。中心メンバーは16人に増え、活動の幅も広がってきた。

「震災後、復興予算などで各地にコミュニティスペースができたけれど、長続きする所は少ない。地元のニーズを把握せずにお金のみが用意され、形だけの場になった結果では。僕は震災前から、地元に本当に足りないものは何かと考えて場をつくってきました。今、やりたいことははっきりしています」

今春からはフリーランスとして独立。3回目となる「小名浜本町通り芸術祭2015」の準備に走り回る。

(聞き手=関口威人)

 


UDOK.

福島県いわき市小名浜本町29-2
http://udokonahama.tumblr.com

小名浜本町通り芸術祭2015

2015年10月11日(日)~12日(月・祝)
http://ohsaf.html.xdomain.jp

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