寄り添いのあり方 〜「お母さん」の教え

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地震国の私たちが、復興や防災のためにしなければならないことは、山積みになっています。しかし日々の生活に追われ、そのことからだんだん遠ざかってしまいがち。今年は東日本大震災から4年、阪神淡路大震災から20年。私たちは災害に対してどれだけ切実でいるでしょうか。ここで紹介するのは、中学生の作文。寄り添いのあり方が綴られています。その心を持ち続けることが、災害を乗り越える一番大きな原動力と言えるでしょう。


第34回全国中学生人権作文コンテスト広島県大会最優秀賞、法務省人権擁護局長賞

『寄り添いのあり方〜「お母さん」の教え〜』

福山市盈進(えいしん)中学校2年ヒューマンライツ部 国清彩(くにきよ・さや)さん

 

私は学校で、ボランティアと人権・平和の研究をするクラブに所属している。最近、私たちの部室に新しい仲間が増えた。それは、“加藤貴光さん”。

しかし、私は、実際に貴光さんにお会いしたことがない。というよりは、もう、誰もお会いすることはできないのだ。

私たちのクラブには、みんなが「お母さん」とお呼びする方がいる。彼女は“加藤りつこ”さん。りつこ「お母さん」と私のクラブは2012年の春、同じように、東日本大震災の被災者支援活動をしていたご縁でつながった。

「お母さん」の本当の子どもが加藤貴光さん。彼は、19年前の阪神淡路大震災で帰らぬ人となった。当時、神戸大学法学部の2年生だった貴光さんは、就寝中、自宅マンションが倒壊した圧迫の恐怖の中で息絶えた。国連職員になって世界平和に貢献するという夢は、震災で奪われた。1月17日の寒い日だった。

りつこさんは、助けられなかった自分を責め、貴光さんのお骨を抱いて涙が枯れるほど泣いた。床にも就かず、ご飯も食べずに。貴光さんの思い出まで枯れてしまうのが嫌で、仏花が枯れないようにと部屋には暖房も入れず、一日中仏壇の前に座り、お骨を抱いていたりつこさん。そんな姉を見て、妹さんは心配した。「このままでは病気になってしまう」

しかし、りつこさんはテコでも動かなかった。見かねた妹さんは、りつこさんの横にただただ座り続けた。あるとき、りつこさんがふと後ろを見て、居眠りをしていた妹さんの体に触れると、随分と冷たくなっていた。「このままでは、妹が病気になってしまう」と思い、りつこさんは慌てて「暖かい部屋へ行こう。お茶を飲もう」と声をかけた。

「“寄り添い”とは、その人が自ら立ち上がるまで、共にそこに…」。りつこさんが私たちに教えてくれた“寄り添い”のあり方。私は、自分の言動を見つめ直した。

貴光さんが「お母さん」に送った、生涯でたった一通の手紙がある。「親愛なる母上様」と題されている。レポート用紙一枚にぎっしりとつづられた母への感謝の思い。

この手紙に心を揺さぶられた奥野勝利さんは、手紙に曲をつけて、貴光さんが残した母への思いを発信している。貴光さんの言葉一つひとつ、やさしく包み込んだこの歌が、私は大好きだ。私たちは、りつこさんの講演会のお手伝をさせていただくとき、必ずこの歌に手話をのせて歌う。りつこさんは、いつも静かに涙を流しながら優しく微笑んで喜んでくださる。私も手話をしながら、思わずもらい泣きしそうになる。

4月、クラブの先輩2人が国連に派遣された。先輩方は、貴光さんの夢を知っていたので、「お母さん」に電話して、こう告げた。

「私たちは、『お母さん』と貴光さんから、人間の本当のやさしさや目標を持つ意味を学んできました。だから、貴光さんがこの機会を与えてくださったと思っているんです。貴光さんが、私たちを国連に連れて行ってくださると思っています。お願いです。遺影をお借りできませんか」

「お母さん」は、電話口で泣かれていたそうだ。後日、りつこさんが直接、貴光さんを学校まで“連れて”来て下さった。

「今まで、“国連”という言葉を聞くたびに胸が苦しかった。貴光が、働くどころか、行くことさえできなかった国連に、あなたたちが連れて行ってくれるのね。電話をもらってから、貴光の表情も嬉しそうに見えるのよ」

りつこさんは遺影を見つめて、涙を流しながら優しく微笑み、先輩たちに遺影を託した。

今、貴光さんはいつも部室にいらっしゃる。優しい眼差しで私たちの活動の様子を見守って下さっている。活動中、何気なく目が合うと、自然と口元が緩んでしまう。そんな素敵な新入部員。「貴光さん、これからもよろしくお願いします!」

8月20日未明、広島市で大規模土砂災害が発生。安佐北区にお住まいのりつこさんが心配だった。次の日、りつこさんの無事を聞いて安心した。数日後、学校にりつこさんから一通のメールが届いた。

「被災者の知人から、掃除用のタオルや雑巾が足りないと聞いた。力を貸してください」

すぐに生徒会と共に全校に呼びかけ、翌日から寄付を募り、2日で3000枚も集まった。段ボール詰めの一番上に、手書きメッセージを添えて発送した。「私たちはこれからもずっと、被災者の方々と共にあります」

これは、東日本大震災被災者支援を続ける私たちのクラブのスローガンだ。それが今、避難所に貼られているという。

「人は誰かの支えによって立ち上がることができる」。「お母さん」の言葉だ。

私に大きな力はないけれど、そっと人を支えることのできる人になりたい。そのために私は、いつも傷ついた人々の存在を意識し、彼らから学び、彼らにずっと寄り添うことのできるこころを育てたい。


※「お母さん」こと加藤りつこさんのブログでは、ご自身の講演等を通した交流や、盈進学園ヒューマンライツ部の活動を紹介しています。

アイビーの独り言|加藤りつこのブログ

http://ameblo.jp/nobleheart/

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