被災地の村長だったから語れる「希望」

国会議員会館の事務所内での長島忠美さん。右のカレンダーの写真は旧山古志村に伝わる祭りの様子。取材後の内閣改造で、長島さんは復興副大臣に就任した。
国会議員会館の事務所内での長島忠美さん。右のカレンダーの写真は旧山古志村に伝わる祭りの様子。取材後の内閣改造で、長島さんは復興副大臣に就任した。

それは10年前、新潟県中越地震の発生から5日後。

避難所の住民から缶ビールと漬け物の差し入れが村の仮役場に届いた。「つらいときに希望を与えられる村長さんになってください」というメモ書きとともに。「感動しました。でもさすがにまだお酒の飲める状況ではなかったから、そのビールはずっと取っておきました。飲んだのはそれから『3年2カ月』がたってから」

当時の村長、現衆院議員の長島忠美さんは国会議員会館内の事務所で、そんな記憶をたぐり寄せた。2004年に発生した新潟県中越地震。長島さんは震度6強の揺れに襲われた同県山古志村の村長として「全村避難」などの対応に当たった。山あいの村の2000人足らずの村民は、土砂崩れなどからの復旧のため、村を離れて散り散りになった。長島さんが差し入れのビールを口にできるまでの「3年2カ月」は、多くの村民が避難所や仮設住宅暮らしを耐え忍んだ時期だ。

「あの山の中の村民が避難所生活をするなんて、誰も考えていなかった。災害大国の日本では何が起こるかわからない。備えの必要性を痛感しました」

全村避難の間に村は長岡市に編入合併され、長島さんは「最後の村長」を務めた後、05年8月の衆院選で自民党から出馬し初当選。「被災地を知る国会議員」として震災復興や防災・減災の法整備などに駆け回り始めた。3期目の現在は超党派の全国災害ボランティア議員連盟会長として、「災害ボランティア割引制度」の実現にも尽力する。

「行きたいという気持ちのある人が駆け付けやすい環境をつくるため、予算化を含めて国がサポートできれば。一方、被災地が地方であれば、東京方式の生活再建では被災者が戸惑ってしまう。普段から全国の防災活動の情報や地方の現場の思いを共有することも議員連盟の役目」だという。現場の「当事者」だったからこその提言は温かく、かつ鋭い。

「人は自立するものだから、被災した人を『助けすぎない』『甘えられすぎない』ことも大切。長く心に寄り添う支援で、ゴールのないマラソンのような復興にゴールを見つけられるようにしてほしい」 あの日の差し入れのメモにあった「希望」の言葉を重ねるように、そう語った。

聞き手=関口威人


衆議院議員 長島忠美
全国災害ボランティア議員連盟

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